心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心

    ※※※ 熱いおやじのこころ紀行 ※※※

    ※※ 「米百俵」はどこへ消えた?  ※※
         vol.15 2003/11/4

        http://www/kirei-ni.com/

心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心心
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
           「米百俵」とは

 明治維新で新政府につかなかった越後長岡藩は
禄高を7万4000石から2万4000石に減らされ、
財政が窮乏した。

  支藩の三根山藩から支援米百俵が届いたとき、
大参事(旧家老)小林虎三郎は今日の糧にも困っ
ていた藩士たちには分け与えなかった。

 「今、みんなに分け与えれば米百俵はすぐに
なくなってしまうが、若者を教育して立派な人物
を育てれば、将来千俵にも万俵にもなって戻って
来る。だから辛抱してくれ。」と、支援米を元手
に人材養成のための国漢学校を設立した。

 その後、同行は山本五十六元帥、小野塚喜平次
東大総長などを輩出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
         小泉流「米百俵」の行方

 小泉さんが総理になったときの所信表明で、
「米百俵」の精神を国民に提案した。
  「これは素晴らしい」と歓喜しましたよ。

  ところが、日が経つにつれて「総理は米百俵の精
神を知らないのでは」と疑問を感じるようになった。
  もしも知っていて「辛抱しろ」だけを用いたならば、
国民を愚弄したことになると思う。

 小林虎三郎は「大人は辛抱して青少年を育てよう」
「今辛抱したら、次世代の人たちが幸せにしてくれる」
と言う。

 ところが「痛みに耐えろ」と言う小泉総理は、
「痛みに耐えたらどうなるか」は示さない。

 「米百俵」をこのように利用されて、小林虎三郎は
草葉のの陰でお怒りと思う。
 そのことが判ったのか、「米百俵」が聞けなくなって
久しい。

 後5日後には衆議院選挙。
 米百俵を引っ込めるのではなく、米百俵の正しい
精神を活かしてくれる人、明るい未来のために真摯
に取り組む人を選びたい。


      
        

バックナンバー
30日毎に更新予定です。